二〇二六年四月一七日―二三日
四月一七日(金)
八時半起床。もっと寝たかった。
昼、近所の喫茶店へランチに行く。喫茶店で飼われている亀が店の前で野放しにされていた。車道に出ようとするのを店の人が亀を抱えて止めて、歩道に置かれ、また車道に向かってよたよたと歩いていた。日替わりはちらし寿司で、量が多いがなんとか食べきる。ちらし寿司なんて食べるのはいつぶりかわからない。だから頼んだ。店には黒猫もおり、棚の上で熟睡している。客が撫でたり目やにをとってやったりしても起きない。
夜六時を回って退勤。退勤すればすなわち週末であり、気持ちがはやり集中を欠いたのでもう仕事はやめにする。カレンダーを見つつ、大型連休があまりに暇そうなので東京に帰るか迷う。高校の友人らと会う話も持ち上がっているので、一応実家や他の知人にも予定を尋ねておく。
御影のブックファーストで西村賢太『一私小説書きの日乗 新起の章 堅忍の章 這進の章』(角川文庫)を求める。西村賢太の一連の連載が合本され二点の文庫として刊行されたもの。これは言ってみれば下巻にあたり、二〇一六年六月から二〇二二年一月、つまり急逝の直前までの日記が収められている。六甲道のケンタッキー・フライド・チキンで腹拵えをしたあと、ドトールでそれを読む。ハイライトを四本吸って退店。六甲道は神戸大学が近く、学生が多い。ドトールの店内にもそれらしき姿が多く見受けられ、彼らが明らかに私より若く見えることに驚いた。
西村賢太の日記は単行本をKindle Unlimitedでよく読んでいたので、これからも何度も読み返すだろうとこの際買った。単調といえば単調で、「十二時起床。入浴。サウナ二時間。夜、買淫。中当たり。下書きを四枚清書。晩酌、宝二本」といった記述が繰り返され、それに時折編集者等との飲み会、藤澤清造の月命日に能登への墓参、テレビの収録などが挟まれるだけなのだが、なぜか面白い。私も代わり映えのない日々を過ごしているので、それなりでも日記をつけてやろうと思う。
帰宅後、なんとなく湯船に浸かる。ドラッグストアでボディソープと入浴剤を買ってきたのだが、トイレットペーパーと柔軟剤も残り少ないことに気づく。温泉を模したと謳う入浴剤はいじらしい。大した贅沢をしたつもりはないのに一日で五千円くらい費消している。最近になって湯船で紙の本を読むことを覚えてしまい、「新起の章」を読み終わる。
床に就いてKindleで中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』を読む。薬物を摂取したあとの状態を表現する、ワードサラダのような描写が何度か続く。そんなものを読みながら私も薬によって眠らされたせいで、十五分ほどまどろみながら意味不明のイメージが広がるのを見ていたが、これは眠れそうにないと思い諦めて目を覚ました。午前二時。読んだものにたやすく影響される。目はすっかり覚めてしまう。
四月一八日(土)
十一時起床。結局深夜五時頃まで眠れなかった。
Yと仕事の打ち合わせを三十分ほどした後、阪神電車に乗る。空腹を覚えていたので尼崎センタープールで降りて丸源ラーメンへ。
丸源ラーメンは主にロードサイドに展開しており、ここでも国道四三号に面している。相変わらず混んでいる。東京郊外の実家にいた折に足繁く通っていたため、今でも時々食べたくなっては尼崎や住之江の店舗に行く。それだけでもう一度駅に戻って阪神に。
ふと思い立って野田で降りてみる。未踏の地。駅前にアーケードの商店街がある。関西ではいったいにアーケードが多い。道幅はそう広くない。チェーン店は少なく、日常の用を足すのに必要なあらゆる業種の個人商店が並ぶ。そのことに肯定的なくせに、実際私がこういった商店で買い物することはほとんどない。
アーケードを通り抜けると千日前線の玉川という駅があった。千日前線で難波に向かうことを決める。プラットフォームは途中に柵があり、その向こうはずっと暗がりになっている。列車を増結できるようにホームをあらかじめ長く作ったのだろう。
地下鉄の向かいの座席に、一歳くらいの利発そうな女の子がお母さんに抱かれていた。まだ何事にも興味津々といった風情で車内のあちこちを見回しており、私にも一瞥をくれたのだが、特に関心を惹かなかったようで三秒ほど目が合ったあとそっぽを向いていた。
難波で降りてとりあえず御堂筋に出る。人がうんざりするほど多い。特に難波には用がないので心斎橋の方まで歩いてみるが、心斎橋に用があるわけでもない。何も用がないから街に出ている。最近は街に出るといったら大抵三宮から元町周辺なので、大阪は人混みのように感じる。
心斎橋あたりで陽差しの強さに呆れる。まるで夏のように世界がはっきりとしている。夏が好きなのでそのこと自体は嬉しい。思い立ってハイライトのメンソールを買う。私は暑い時期にしかメンソールの煙草を吸わない。近隣の煙草が吸える喫茶店を探し、吟味した後「香豆」に。
アイスコーヒーを頼む。これも暑い季節にしか基本的に飲まないもの。かといって温かい飲み物を口にすることはほとんどなく、単にアイスカフェオレを頼むことが多い。その違いが自分でもよくわからない。西村賢太の日記の続きを読む。
店を出て、もう少し歩く。四つ橋筋の方へ渡ると人が減る。オリックス劇場を通り過ぎたあたりでやけに螺子の看板がある。そのうちの一つは「ねぢ」と書いてあり、奇妙な表記に惹かれる。お腹が空いた気がしたが、人混みに疲れたので三宮で食事をとることとする。
三宮は人の多さがちょうど良い都会。何か食べる店を探そうと三宮センター街に入ろうとしたらおばさんに「時計のアンケートをやっているんですけど。四問だけ答えてくれませんか」と呼び止められる。暇なので付き合う。その近くで時計屋を営んでいるという。
最初に苗字を聞かれたので、メジャーな苗字を答えておく。なんとかいう時計ブランドを知っているか、時計を持っているか、時計はいつ着けるのか、趣味は何か、次に時計を買うとしたらどんなものがよいか、仕事は何か、どこに住んでいるのか、年齢は、いい人はいないのか(四問どころではない)などと質問されるのだが、私が嘘を織り交ぜて回答する毎に三分くらいそれを掘り下げてくるので段々面倒になる。
途中、そのなんとかいうブランドの時計を宣伝され、それがまた長いのにうんざりして、「アンケートというから付き合ったのであって、営業をされるのは望んでいない」と言ったら「営業ではなく、ご紹介」とふざけたことを言う。「なら考えるから名刺をください」と返すと、「名刺を持っていない、旧居留地のなんとかビルに店はあるから来てくれ」と愚にもつかぬことを言うので、何か汚い言葉を言ってやろうかと思ったが黙って立ち去る。
私は世間で疎まれているだろうことをできる人間に興味があるので、こういった勧誘なりに付き合ってみることが多いのだが、毎回世間で疎まれていることに納得させられる。この時計のおばさんは三宮の名物らしく、最後には今から店に来るか電話番号を教えろという運びになる。店に行けばその価格に見合うか不明の時計を数十万のローンで売りつけられ、電話番号を教えればその場でかけてきて確かめられるらしい。
こんなことをするために生まれてきたのか、と自分で思う瞬間はないのか不思議になる。とはいえ私も、興味本位でアンケートに付き合い適当な嘘を並べるために生まれてきたわけでもないとは思う。
苛立ちながらさんプラザの飲食店街を練り歩く。丼ものの店があり、なんとなく入ってみる。豚丼を頼む。こちらの予想と異なり辛味噌ベースの味付けで結構おいしい。店主は威勢と愛想が良い。名店に出会えたことに満足して帰路に就く。
帰宅し、散歩による疲労を癒すため今日も湯船をためる。二時間余りも浸かって、今日は読書はあまりせず、無為なことを考えてしまう。夜半空腹を覚えてセブン-イレブンへ。冷凍の油そばを買う。思いの外辛く、胃薬を服んでおく。
四月一九日(日)
午前六時半起床。高校の仲間内で自分だけ受験勉強がはかどらない夢を見る(実際そうだったのだが)。九時頃にもう一度眠る。十一時過ぎに改めて目覚め、病院の予約があったので慌てて家を出る。
京都まで阪神と阪急を乗り継いで向かう。京都に住んでいた頃のかかりつけの精神科に今も月に一度行っている。基本的には薬をもらうためだけ。インチュニブとデエビゴとボルズィを処方されている。
その後、妻と会う。半年前に別居し、妻は京都に住み続け、私は神戸に移ってきた。回転寿司を経て河原町のタナカコーヒへ。別居してからも私が京都に通院する毎に顔を合わせてきたが、一度も今後については触れずに近況などを話すに留まってきた。
しかしいつかは話す必要がある。とりあえず、いずれ東京に戻るつもりであることを伝え、どうするのか問う。もう一度一緒に暮らす可能性はあるのか聞いてみると、ないとのこと。そうであれば、妻は年上なこともあるし、ずるずると婚姻関係を継続しない方が良いのではないかと述べる。私の方には特に急ぐ理由はないのだが、どこかで蹴りをつけなければならない。
とりあえず離婚届を書くか、と妻が提案したので、役所に行かないと手に入らないのでは、今日は開いていないと言ってみたが、調べてみると京都市のサイトからダウンロードできた。コンビニで印刷すればよい、と妻が言う。店員に少しコンビニへと伝えてファミリーマートで印刷する。二十円で出てきた離婚届は、上京区役所でもらってきた桜の柄の婚姻届とは全然違うものに見える。
店に戻り、一通り記入すべきところを確認し、まず私が名前と住所を書く。妻は嗚咽するわけでもなく、いきなり静かに大粒の涙を流す癖があるのだが、私が書き終わって顔を上げると今日もそうで、動揺する。こんなところでこんなものを書くべきではなかったか。その涙を見ると私もこみ上げてくるが、我慢して妻にペンを渡す。
離婚届にも証人が必要なことを知らなかった。誰に頼むべきか、といったことを冗談を交えながら話す。婚姻届は、父親がどちらも書くことを遠慮したので両家の母親が証人になってもらったのだが。提出する前に妻は自分の親に報告しておくというので、そのあとで決めることにする。私の方は事後報告でも構わない。役所の前で離婚届を二人で持って写真を撮るか、などと笑いあう。
私たちには子供もなく、大した財産もなく、そしてどちらかに明確な原因があるわけでもないので、離婚の形としては幸せな部類と言えるのかもしれない。二人で埋めるべき箇所を埋めて、妻が預かっておくことになった。クリアファイルがないなどと言うので喫茶店を出てBALの無印に向かう。
BALのエスカレーターで妻が「難しいね」とだけ言った。そこで急に泣いてしまう。なぜかわからない。クリアファイルは無印には置いていない。BALを出ようとするときに、泣いている赤ちゃんとすれ違ったのだが、BALに入ったら唐突に泣き止んだのを二人とも見て笑う。何も言わなくても同じものを見ていて、それで笑えるのに、と思う。それだけで生活を共にできるわけではない、とも思う。
今にも一雨来そうな空で、妻は折りたたみ傘もほしいというのでスリーコインズのそれを薦め、そちらに向かう。スリーコインズには折りたたみ傘はあったがクリアファイルがない。家にはいくらでもあるのにね、などと言う。
妻はこのあと友人と会う予定があるらしく、四条河原町のバス停で別れる。私は阪急に乗る。始発なので座れる。音楽を聴く気にもなれず、本を読む気にもなれず、協議離婚の手続きについて少し調べたあとはひたすら外の景色を眺める。感傷に浸る資格があるのかわからない。
回転寿司では軽くしか食べなかったので、梅田に着くとお腹が空いている。新梅田食道街で逡巡した後、煙草の吸える中華に入る。天津飯が名物らしいのだが、肉を食べたい気持ちもあったので排骨飯とかいうのを頼んでみる。それとコーラ。出てきたのは中華丼に排骨が乗っているものだった。醤油ベースの餡がとてもおいしい。同じ餡だろうから、天津飯が名物になるだけのことはある。関東の天津飯は甘酢の餡だが、私はあれが嫌いで、関西の方が良い。おいしいと思うのだが、悲しみは消えきらない。
阪神電車で大貫妙子の「都会」をループで流す。その時々で同じ曲を聴き続ける癖があるのだが、一昨日くらいからこれをよく聴いている。大貫妙子も妻の影響と思ってしまう。いろいろなことを考える。夜の車窓は美しい。何かよすがを失ったような感覚がある。
寝る前に中島らも『今夜、すべてのバーで』を再読。
四月二十日(月)
午前九時半起床。目の隈がひどい。
午前中は相変わらず調子が出ない。午後二時にならないとエンジンがかかってこない。昼は近所の喫茶店にランチへ。日替わりが天丼だったのでそれにしてみる。喫茶店で出てくるレベルではなくおいしいが、あまりお腹が減っていなかったらしく残してしまう。どれくらい食べられるのか、事前の感触があまり当てにならない。最近は天気がいいので毎日のように外へランチに行ってしまう。『今夜、すべてのバーで』を読み終わる。
今日は打ち合わせが多く、その合間に三十分くらいの細切れに時間ができるのだが、そのような微妙な空きに仕事を進める能力が低く、漫然と過ごしてしまう。その三十分でも進めようと思えば進められることはあるのに。今週はやらなければいけないことがたくさんある。
打ち合わせのひとつは前期の評価面談だった。まだそこまでぼろを出していないので悪くはない評価。どの職場でもそうで、最初は良いのだがだんだん「あれ?」となってくる。本質的に責任を負うつもりがないようなところが出てしまうのだろう。
セブン-イレブンで煙草と味噌バターコーンラーメンを買って夕食とする。Yとまた打ち合わせをして今週の互いにやることを確認する。離婚の話を伝える。マジか、と言っていた。それからまた仕事を続ける。
夜十時近くになって、大阪に出張しているTから連絡があり、会うことにする。彼の宿泊するホテルが二千円程度でツインにアップグレードできるとのことで、差額を私が払って泊まらせてもらい、明日始業までに帰る算段。
難波のサウナで待ち合わせる。一時間コースで入店。関西のサウナは人が少ないのが良い。サウナの喫煙所でも離婚の話をする。まあこうなってしまった以上は、それでよかったんちゃうか、と言っていた。
その後、二人ともお腹が空いたのでご飯を探すが、もう日付が変わるくらいだったので、特に食べたいわけではないが開いている店の多いラーメン屋を歩きながら見てみる。途中、キャッチに声をかけられ、ラーメンだったらあそこが美味しいですよなどとやけに腰の低い若者だったのでその人の言う宗右衛門町の鶏白湯に行く。まあまあだった。
タクシーを拾い上本町のシェラトン都ホテルへ。Tはマリオットの会員で、今複数のブランドのホテルに泊まると何か特典があるとかでわざわざ毎日違うホテルに泊まっており、そのひとつがこの出張には不釣り合いな豪華なシティホテル。一泊の値段は旅費規定を若干超えているらしいが、複数泊の合計額が規定額以下なら良いらしい。そのアップグレードの恩恵を受けて私は意味もなく泊まる。
プールやサウナもあるようなホテルだがもうすべて閉まっている。このホテルでこんな夜更けにチェックインする客はほとんどいない。例によってくだらない話をしているとさらに夜が更けていった。
四月二一日(火)
午前九時起床。もちろん眠い。フルフレックスではあるものの打ち合わせまでには自宅に戻らねばならない。Tと喫煙所で一服して私は宿を立ち去る。
上本町から電車に乗る。朝方の上り電車が普通に座れるありがたさ。東京ではまずこうはいかない。最寄り駅までうとうとして過ごす。
駅前のパン屋で、ベーコンとバナナとピーナッツバターと蜂蜜という組み合わせの、重厚なホットサンドを買ってそれをブランチとする。昼休みにも寝てかろうじて仕事をこなす。時々妻のことを思い出す。まだ火曜日なのかと思う。
昼が少なかったので、夕方にはお腹が空いている。しかし仕事の手を離せずガストの唐揚げ弁当の配達を頼んでしまう。耳だけの会議の間にそれをもそもそと食べる。食べるとお腹がいっぱいになり、眠気もやってくる。もう頭が回らないので結局仕事は半ば諦めて明日に回してしまう。
かといって今眠ると変な時間に起きてしまうので、眠るわけにもいかず、ひたすらSNSを眺めて過ごす。何も面白くはない。なんという無為な時間。せめて本でも読めばいいのだが、何が読みたいかもわからない。夜を持てあまし、いつもより孤独だと感じる。一日一日が過ぎるのをじっと待っているような感覚。コンビニに出かけたら月が大きくて不気味だった。
寝る前に谷崎潤一郎『細雪』、川上未映子・穂村弘『たましいのふたりごと』、ECD『ECDIARY』を適当につまみ読む。『たましいのふたりごと』は惜しい本で、もう少しひとつひとつのテーマを掘り下げてくれればなあと思う。穂村弘と春日武彦の同種の対談本である『人生問題集』のほうが面白い。
四月二二日(水)
午前十時起床。打ち合わせに出て、昼寝。たくさん寝たのに眠かった。昼寝から目覚めるとさすがにもう眠くない。昨日仕事がはかどらなかったこともあり、かなり切羽詰まっているので集中して進める。
日次の進捗確認で、「順調ですか?」と聞かれたので「順調ではないがぎりぎりなんとかなるとは思う」と伝えたら、別の人が「ぎりぎりは順調。なぜなら間に合っているから」と言っていて少し面白かった。
そういうわけで、差し迫った仕事を二つ、ぎりぎりなんとかした。昼休みは寝ていたので、そしてその後は忙しかったので、ご飯を食べていなかった。マクドナルドが食べたい気分だったのだが、どうせ煙草もないのでコンビニに行かねばならず、諦めてセブン-イレブンでまとめて買う。かつ丼にする。煙草と飲み物とアイスとかつ丼と「ポテトフライ」(おいしいことで知られるスナック菓子)を買ったら千五百円くらいする。買ったもので疲れていることがわかる。
とはいえよく寝た上に懸案が片付いたので、感覚的には調子が良い。湯船で『ECDIARY』を読む。二〇〇四年の日記。そのとき真剣に思い悩んでいただろうECDには悪いけど、当時はまだ牧歌的だったんだなと思ってしまう。そこに書いてある政治的な、あるいは社会的な状況は、二十年を経て「ここはましになった」と言えることがほとんどない。
四月二三日(木)
午前十時起床。相変わらず午前中は調子が出ない。午後の打ち合わせに向けての最低限の作業だけをする。昼は惰眠をむさぼる。雨が強かったので、昼過ぎにマクドナルドを配達してもらってしまう。昨日ひとつ山を越えたが、まだやることはあり、夜の九時過ぎまで働く。それくらいが私には限界に近い。頭が時折締め付けられるように痛い。
マクドナルドは腹持ちが悪いので、遅めの昼食にもかかわらず退勤する頃にはすっかり空腹を覚えている。雨はまだぱらついているので、遠くに行く気になれずまたセブン-イレブンに行くだけ。私の平日はおおむねこのようにして過ぎていく。
「とみ田監修」というチルドの家系ラーメンとチョレギサラダを買った。コンビニの家系ラーメンはおいしくない。時折買ってみて技術革新が起きていないか確かめるのだが、今日も微妙だった。
本物とは別物だがおいしい、という種類の食べ物もそれなりにあると思うのだが、これは別物だしおいしくない。なぜ家系ラーメンは難しいのだろう。その隣にあった同じく「とみ田」の二郎系ラーメンは、別物だがおいしいレベルには達しているのに。チョレギサラダは期待を裏切らない。
関西は、日常的な価格の飲食は東京より平均的においしいのだが、ラーメンと蕎麦に限っては東京の方がレベルが高いと感じる。特に家系ラーメンはこちらには少ないゆえにこのような模造品に手を出してはがっかりしている。
ろくなものを食べていないくせに食事の話ばかり書いているので、食に興味があるのかないのか我ながらわからない。それくらいしか日々変わるものがないことを示しているだけかもしれない。
親なら子供のオタク的な嗜好(どんなシチュエーションやキャラクターが好きか)も把握しているのか、といった内容の記事を読んで思ったのだが、私はどうもオタクという感じではない。
いや、人生ベスト漫画のひとつに『げんしけん』が入ることは間違いないので、その素養はあるのかもしれないが、煩悩を刺激される対象が微妙にずれている気がする。眠る前に、懐かしくなり『げんしけん』を読む。